2014年4月12日土曜日

「『秋葉原事件』弟、自殺1週間前に語っていた「死ぬ理由に勝る、生きる理由がない」

『秋葉原事件』加藤智大の弟、自殺1週間前に語っていた「死ぬ理由に勝る、生きる理由がない」
http://www.j-cast.com/tv/s/2014/04/11201931.html

結果論で言うと、この弟さんは、「一家揃って異常」の肉親群にあって唯一の「常識人」であった可能性がある。「彼女」の言葉は舌足らずだが、「貴方以外は」というニュアンスを感じる。とは言え、こんな伝聞の文言ではなんの信憑性もないわけだが。

同じ親元で暮らしても、兄と弟が同じことを感じるとは限らない。
ってのは最近自分自身で思い知ったことですがね。

故に、殺人者の弟だから、殺人者に成りうる、とは限らない。

しかしレッテルを貼りたがりの日本人の中で、犯罪前科持ちに年の近い肉親(概ね兄弟のことですが)が暮らしていくにはかなり辛いと思われる。イトコだったら同姓の他人ですと惚けることは可能だが、兄弟となるとかなり難しいだろう。中途半端に常識があれば尚更。
この手の話では、「理解者」の存在が不可欠だろう。職場の上司および同僚がそうでないのなら、職を移るのは時間の問題だ。
或いは、「彼女」が「理解者」に成ろうとしていたのかも知れないが、同世代の若輩者にはそれは難しい気はする。挙句、親に結婚反対されたのなら、もうこんな奴シランとなっても無理はない。
結果、理解者を失った「弟」は、人生に絶望することになるわけですが、これも仕方ない。だってアナタ、無責任に「俺が雇ってやる!」とか言えないですよ。ジョーダンじゃない。自分が暮らすだけで精一杯だってのに。
さて肝心の「兄」はどうだったのか?http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F%E9%80%9A%E3%82%8A%E9%AD%94%E4%BA%8B%E4%BB%B6
犯罪予告の書き込みで「みなさんさようなら」と書いていたらしい。やはりこれまた人生に絶望していたらしい。
無理やり共通点を見つけるなら、「人生に絶望」ここだろう。「兄」は死に損なったのかも知れない。
正直、心の弱ってる人と付き合うのは、コッチが持たない。
小生は、自律神経失調症の知人と何人か付き合う機会を得ましたが、彼らに無償の愛を提供できるのは、育ての親だけだろうと思う。というか思い知りました。とてもじゃないが赤の他人には無理。

「弟」の自殺の件は、「週刊現代独占スクープ」らしい。
如何にもマスコミらしい。「煽り」文句ですね。つくづく、そっとしてやれないもんでしょうかね。