2020年1月12日日曜日

「不快なやつをブロック」は「禁止」ではない

結局、多様性を認めるかどうかは、崇高な理念ではなく、コストとリターンの兼ね合いで決まる。 | Books&Apps https://blog.tinect.jp/?p=63446

この「多様性を認める」っていう日本語がそもそもズルい。

気づいてねえやつが多いが「認める」には何種類もある。容認か、許容か、及第か、黙認か、認可か、同意か。それを明確に区別して扱わないから毎回議論が蛇行する。

※認める=視認する、って読みもあったな。

そしてブロックは、実は黙認の一種だと考えることは出来る。

何故か?「自分の目に付かなければ何をやっても構わん」そういうことだろう?事実、第3者から見れば、無視してるのと変わらん。

「不快な奴をブロックして構わない」社会と「アライさん」界隈 - シロクマの屑籠 https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20200109/1578555000

「不快な奴をブロックして構わない」社会=「不快な言動が禁じられた」社会
とはいえ、そんな人は少数派で、大多数は他人を選ぶ自由を行使すると同時に、他人に選ばれ敬遠されない自分であるよう、努力しなければならない義務を抱えている。

ちげーよw それってただの自意識過剰。

大多数は、と言いながら、それがブロックされる方の話だけで、ブロックする方の話はしてない。この人ほんとうに精神科医か?

そもそも何で全員にブロックされる前提なのか?普通に考えてそんなことあり得ねえだろう。例えば10万人にブロックされたとする。それでも1億人に比べたらほんの一部だ。

こういう、「1と全」を混同する感覚は、日本人にはほんとうに不味いと思ってる。だからツイッターで馬鹿やるやつが後を立たず、それを拡散されてトラウマになるわけだ。

だから小生は、ブロックってのはなかなか合理的なシステムだと思ったものだ。不快に思ったらなら見なければいい。しかもブロックされた側には不信感は極力与えず、むしろ泳がせてる。ブロックされた側からの報復も減らせる可能性が高い。

これは日本人だと出てこない発想だね。事実、FBもツイッターも舶来だろう?