2010年7月12日月曜日

「負ける為に対戦している」

対戦格闘ゲームの歴史は、もう20年を越えています。
15年前は筆者もまだ現役でしたが、
ネット上の議論で、当時は結論の出なかったものがあります。

勝つためか否か。

筆者は、「勝つためだけにあらず」派でしたが、
「勝つためだけ」に遊んでいる連中とはどうしたって相容れず、
ネット上で、度々議論になったものですが、
筆者としても上手い落としどころが見つかりませんでした。

勝つために手段を選ばない。

それは非常にわかりやすい理屈です。
まあゲームセンターで100円払ってやってる訳ですから、
100円なりの本気を費やしてしかるべきでしょう。

彼らはまた、たゆまぬ修練により、コンマ秒的な超反応を見せます。
いやもう当時の筆者ですら、その境地には叶わず。

ただし、結果だけを求めるのはどうなのか?
仕事なら判る。試験なら判る。
でもゲームだよね?
その答が、当時の筆者にも結論は出なかったのですが。

それでは、勝つためだけにあらず、とは何なのか?

一つは、負けたときの言い訳。
これはもう認めちゃっても良い頃でしょう。
コンマ秒を競う境地には叶いません。

もう一つは、勝つための創意工夫を楽しみたい。

乱暴に言うなら、負け戦のマイナスを、如何に±0に近づけるか。
ボロ負けを、如何に接戦まで持っていくか。
とっくにマイナスなので、ローリスクローリターンな楽しみ方であるとも言えます。

そういう意味では「負けるために対戦している」とも言えましょう。
これは当時の筆者では出なかった結論です。

前者の連中は、±0のプラスを増やすことが喜びであると言えます。
どうしたって相容れるわけが無い。

ただしプレイスタイルそのものが、需要と供給が一致してしまってる。
対戦で出会うのは必定です。

しかし筆者もまだまだ青かった、±0に近づいたら、やはりプラスにしたくなる。
勝つためか否かも結論が出なくて当たり前。
筆者だって勝ちたいと思っていたのですから。

今なら声を大にして言えます。

「負ける為に対戦している。」
「対戦相手を「攻略」するために対戦している。」

どうですか?
勝って当たり前なんて面白くも何ともない。
難攻不落でこそ攻略のしがいがあろうというものです。