2020年3月21日土曜日

適度な通勤は実は必要、むしろ儀式だと思え

サラリーマンの長時間&ラッシュ通勤の是非が定期的に問われるが、当事者のメンタル維持の一環として、一定量の通勤時間は必要だと思う。これは小生の実体験を踏まえている。

一般的な例で言えば、オトーサンの大多数は、家庭に仕事は持ち込みたくないだろう。部長に絞られた。部下は言うこと聞かない。業績はあがらない。しかし暗い顔は愛する家族には見せられない。その切り替えに、通勤は重要な役割を果たしていると観ている。

同じく、朝の出勤。息子がグレた。女房が不倫した。長女が私立大学に行きたいと言い出した。等々。家庭モードから、仕事モードの切り替えに、通勤時間は必要である。

移動手段だと思うから切ないだけで、「儀式」か何かだと思えばいい。ポケモンGOやスマフォゲームの数々はその儀式に一役買ってるというわけだ。

もちろんそのために苦痛とかもってのほか。長時間&遠距離&ラッシュは別けて考えるべきだろう。

個人的な目安としては、通勤時間40分程度、1回乗り換え、ぐらいがお勧めである。

逆に自宅兼事務所だと、よほど精神力の強い人でなければ、仕事モードと家庭モードの境界が曖昧になってどっちもグダグダになる。可能なら、仕事部屋と寝室ぐらいは分けたほうがいい。

というのを昔FBに書いたんだが、似たような論がコロナ自粛に当て込んで出てきてるので復刻。

「コロナ鬱」にならないための“究極のストレス・コントロール術” 潜水艦元艦長が指南 | 文春オンライン https://bunshun.jp/articles/-/36696

ある研究で自殺の多い都市について調査したところ、その都市は「職住近接」が進んでいて「通勤がない」ことが大きなストレス要因となっていたそうです。これも映画鑑賞と同じ理屈でしょう。職場と住居との間で「切り替え」ができないと、ずっとひとつのことに意識が向けられて、ストレスのかかった状態が続いてしまう。在宅ワークが求められているいまだからこそ、大切な視点だと思います。