2016年1月10日日曜日

自動運転がいよいよ実用化か?!→運転好き「俺達に運転させない気か!」→そんなことねえだろ...

自動運転がようやく実用になりそうで期待している。もちろん色々なハードルがあるだろうが。小生の2015年現在のスタンスとしては全面推奨である。

一方、運転したがりの人種も居て、次の様な運転支援システムのほうが好ましいと思うだろう。

http://car-moby.jp/38070

まあそういう人の気持ちは判らんでもないが、「俺に運転させない気か!」みたいなことを言い出す。最近の自称アナログ人間の1ビット思考はなんなのか。なぜ all or nothing だと思ってるのか。

いやいやそれは議論の軸が違いすぎる。感情論はまず脇に置いてもらいたい。

小生が自動運転に期待してる理由は、大雑把かつ抽象的に言えば次の通り。

  • 「運転したい」ということと、適正は別の問題である
これは昨今の高齢者による自動車事故のことを言ってると思ってもらって構わない。彼らも「運転したがり」の象徴である。そして適正を失ってる象徴でもある。

もちろん高齢者に限った話ではない。飲酒運転。ペーパードライバーの操縦ミスもこれに当てはまる。

そしてここからが本題。適正があっても、それを維持し続けるのが困難であることだ。

より具体的にいえば次の通り
  • 人間は、疲労そして退屈する動物である。
  • しかしながら、現代の自動車運転は、外的に要員が多すぎる。
    • 情報処理量が多すぎる。
    • 必然、疲労も激しくなる。
  • 日本の道路交通は、僅かな平野を幹線道路で結んだ構造であり、必然、渋滞しやすい。
特に情報量については、360度、少なくとも180度は把握しなければならないはず。日本は特に、狭い路地からいきなり飛び出してくるケースも多いだろう。これでは肉食動物に追われる草食動物かのようではないか。隙がない。休まる隙がない。

これは、前述の運転支援システムを使ったとしても、余り変わらないと考えてる。仮に「前方右の路地から接近中の車両あり」と警告があったところで、ブレーキが間に合うかどうか。

要するに、「運転好き」な人にとっても「運転は重労働である」と小生は考える。

「好き」とか「楽しい」とかいう感情は、疲労感を低減する効果がある。しかし疲労してないわけではない。

1時間ぐらいの運転なら、そりゃあ楽しいだろう。しかし、仮に6時間しかも渋滞でも楽しいと言えるか?そんなことはないだろう。退屈する。そして退屈は疲労感を呼び覚ます。大概の人が「流石に疲れたわー」と言うことだろう。

例えば、高速道路渋滞の3時間でも、自動運転に切り替えて休憩すれば、だいぶ助かるのではないだろうか?もちろん眠っても構わないだろう。自動運転が起こしてくれるのが前提だが。

総じて、「運転好き」「運転したがり」にとっても、自動運転はメリットしかねえよ、と言いたいわけです。

もちろん、成人式で事故を起こすような阿呆から、「運転」を剥がすことも、重大な目的の一つと言える。

新成人が成人式会場前で2人はねる 静岡・湖西市 http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20160110-00000026-jnn-soci

過失運転致傷の疑いで現行犯逮捕されたのは、愛知県豊橋市に住む市川和樹容疑者(20)です。
 はねられたのは60代の夫婦で、孫の成人式の晴れ姿を見に来たところでしたが、この事故で頭を強く打ち、重傷となっています。