2010年9月20日月曜日

体験の濃度

なかなか興味深い議論を見つけました。

出典はtwitter(らしい)ですが、
元のエントリを見つけられないので(複数エントリに分割している?)
それを貼ってあるtumblrを貼ります。

http://igi.tumblr.com/post/1131804398
最近「体験に対する時間当たりの濃度」という考え方をするようにしている。

筆者の、ここ数年思っていたことが腑に落ちました。

なぜテレビを見なくなったのか?

いや少なくとも筆者は、ですが。

体験濃度が低いからに他なりません。
0に近いと言ってよいでしょう。

「コンテンツとしてのテレビ番組」は
時間枠という「事情」に縛られており、
前フリを待たされる、故にオチまでがカッタルイ。

そもそも、テレビ以外にも、時間つぶしの方法は幾らでもあります。
これに関して、端的な表現を見つけたので、引用させていただきます。

http://nemoi.tumblr.com/post/921177733
「教養」のない人間には酒を飲むことくらいしか残されていない。
「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことでもある。

同じ事を感じてる人は多いはず。
だからこそ、ワンセグ付きケータイが売れてる。らしい。知らないけど。
いや通勤中、ケータイでワンセグ見てる人は意外と居ますよ。

NHKクローズアップ現代ですら、筆者は1.7倍速で見ていました。
#CM枠の呪縛のないNHK製作ですら、の意味。

いっそのこと、放送枠を10分単位にしたらどうかとも思いますが、
CMありきの民法では、本編が5分ぐらいしか残らないかも。
全力坂かよ!

筆者も、ここ数年、かなりアニメすら見ない生活が続いているので、
アナログ放送停止でそのままテレビ離れしても困らないかもしれません。