2012年7月6日金曜日

人は○○のみで生きるにあらず


tumblrから辿ってるので、半年出遅れてます。

http://www.watanabemiki.net/journal/post-373.html

「14年連続自殺者3万人」の国、日本


しかし、私は私の周りのカンボジアの人たちから、誰かが自殺したという話を聞いたことがない。カンボジアで自殺者がいないとは思わない。ただ、生きるのが必死の彼らが自ら命を絶とうとは考えないのではないか。何とか生き抜いてやるというエネルギーをひしひしと感じる。
日本とカンボジアを比べても仕方がないが、圧倒的に日本の方が経済的には豊かだ。しかし、14年連続で毎年3万人以上自ら命を絶つ社会が真に豊かと言えるだろうか。我々はあまりに、無関心になってはいないか。その膨大な数に痲痺していないか。
政府のなかに内閣府自殺対策推進室がある。しかし、自殺はいっこうに減らない。3万人ひとりひとりの自殺の背景をどれだけ細かく把握しているのか。それがなければ対策も何もない。
自殺者は社会のカナリアだと思う。カナリアは坑道などでいち早く有毒ガスを検知する。「我々の社会はおかしいぞ」と自殺者の方々は、自らの命を絶って訴えているのかもしれない。

極めて自明の話なのですが、経済的な豊かさと、精神的な豊かさを混同してますね。日本は、経済的には非常に豊であると断言できます。なんだかんだと飢え死にしてる人は少ないですし、逆にニュースになっちゃうぐらいですから。

「豊かさ」というから主題が判らない。「幸せ」とでも言い換えてみれば良いでしょう。日本人のすべてが幸せだなんて誰も思うまい。そんなん無理だしね。故に、その最終段階として自殺者が出たとしても、小生は何とも思いません。もちろんそれが知人であれば、何とも思わないわけはありません。ただし、彼らが自殺などしないと信じてますがね。真の友人というのはそういうもの。

おっと「幸せ」の尺度については、小生は小生なりの結論をもってはいます。ここでの言及は控えますがね。だって言う必要ないでしょ。人それぞれなんだから。

しかして、「幸せ」を計るのに、自殺者の数を数える必要すらありません。サザエさん程度のコンテンツで「幸せを補充」してもらわなければならない。そんな日本人が結構居る状態が、既にヤバイと思います。